【脱党支援センター2020年8月28日】
湖北省利川市柏楊壩鎮の山奥にある清代に建築された大井戸建築群が、多くの旅行客を引き付けています。しかし、あまたの傷跡が残る建築物に、血と涙にまみれた土地改革の歴史が刻まれていることを知る人はあまりいません。ルポタージュ『血紅的土地(血に染まる土地、邦訳なし)』の著者、譚松(たん・しょう)さんがこのほど、取材で自ら撮影した映像を公開しました。
1949年10月、中国共産党が政権を奪い取ると、一連の政治キャンペーンを始めました。真っ先に行なったのが土地改革運動で、1950年から1953年頃まで中国全土で推し進められました。土地改革の名目で地主の土地を略奪し、その過程で殺戮と想像を絶する陰惨な拷問が行われ、「禍根を根絶する」といって、地主だけでなく、その家族も全員殺すといった絶滅方式を取りました。3年間の土地改革運動で、少なくとも200万から300万人が死亡したとされています。
『血に染まる土地』著者 譚松さん
「私が土地改革の調査を開始したのは2003年3月だった。たった一人でこっそりと始め、十数年で当時を知る人を100人以上取材した。私が調査した土地改革の話をお伝えしたい。これは現在の湖北省利川市柏楊壩鎮の山中で起きたことだ。ここは清代の大井戸建築群があることで知られ、全国重要文化財保護単位に指定されている。だが人々はここで起きたことを知らない。内情を知る人はほとんど亡くなっているからだ」
古風ながらも精緻に作られた大井戸建築群は、清代の道光~光緒年間(1821~1908年)に建てられたもので、「湖北・重慶の辺境古代建築物の宝」と称されています。当時の八大荘園のうち、最も完全な形で現存するのが李氏宗祠と李亮清荘園と言われています。しかし1949年に中国共産党が政権を奪ってから、ここで暴力的な土地改革運動が推進されました。『血红的土地(血に染まる土地)』の著者、譚松さんが知った凄惨な話は、李亮清荘園で起きたことです。
彭吉珍(ほう・きつちん)さんは当時の地主、李亮清の次男、李次候(り・じこう)の嫁でしたが、夫は1949年の共産党政権設立後、あちこちに逃げ回る日々を送っていました。故郷に取り残された妻を待ち受けていたのは、想像を絶する体験でした。譚さんは利川市で、50年前に土地改革民兵で、農民協会の職員でもあった向賢早(こう・けんそう)さんを探し出しました。向さんは『大井戸李氏宗祠、荘園の歴史写真』の著者でもあります。ようやく当時の目撃者の貴重な証言を得ることができたのです。
土地改革当時の農民協会職員 向賢早さん
「部屋の中に大きな火鉢があった。許という民兵が木炭を一山焼いて、レンガ4つも火で焼いていた。そして李次候の妻の彭吉珍さんを引っ張ってきた。(彭さんは)ひざまずかされて、下には火鉢が置かれた。下に垂れ下がった胸やおなかの皮膚が炭火で焼かれていた。体から出る油が焼かれているのをそこで見たんだ!皮膚に水ぶくれができて、水(油)が滴っていた。(彭さんは)人はみな親から生まれてくのだと、胸が引き裂かれるような声で叫んでいた」
その場にいた向さんはたまらず、自分の立場では止められないと考えて区長の李金斗(り・きんとう)さんのもとに走りました。
土地改革当時の農民協会職員 向賢早さん
「私は区長の李さんに、ある地主が今、火鉢の上で殺されかけていると伝えた」
李さんはそれを聞くと、火あぶりが行われている部屋へと駆け付けました。
土地改革当時の農民協会職員 向賢早さん
「李さんは彭さんを引きずり動かすと、家にはまだ金銀が残っているのかと尋ねた。すると(彭さんは)何も残っていないと言った。家を修理したし、数年前に土地も買ったので何もないと」
李さんは彭さん一家に粟50キロ分の借用証書を書くと、彼らが李子坳(りしあう)という所に行って労働できるように計らいました。彭さんの命はこれで助かったのです。
土地改革当時の農民協会職員 向賢早さん
「今年(2006年)3月に彭さんの家の8番目の妹から『夜に(彭さんと)一緒に寝ていると、ひどい怪我のせいで、足がちょっとぶつかっただけでも痛みで叫び声をあげていた。おなか全体が膿んでしまって(どこが血でどこが肉なのかも分からなくなって)いた』と聞かされた」
このインタビューは2006年7月に撮影されたものです。向さんは、これは彼が見てきた中で最もむごい刑罰で、何といったら良いか分からないと言いました。譚さんにとっても耐え難い話でした。
『血に染まる土地』著者 譚松さん
「向さんの話が彭さんの焼かれている様子に及んだ時、全身に衝撃が走るのを感じた。頭皮や髪の毛が逆立つような感覚だ。あの時、向さんは彭さんが受けた酷刑だけでなく、羊の糞を食べさせるといったほかのさまざまな拷問も語っていたからだ。だが、彭さんが生きたまま焼かれた話を聞かされた時には全身が震えた。人間がこんなにも残酷なことを行うなんて、考えられるだろうか」
譚さんの十数年にわたる調査の中で、生きたまま焼かれた人は彭さんだけではなく、四川省東部の土地改革で数多く行われてきた拷問だったことが分かりました。目的は地主から財産を奪うためでした。
『血に染まる土地』著者 譚松さん
「土地改革の過程で、こうした広い範囲で、民間でこのような拷問が行われていたという話は、歴史的には非常に少ない。なぜならこの土地改革運動は国家政権、この政党が発動した運動だったからだ。強い権力によって推進された運動だったために、非常に激烈で極めて血なまぐさく残虐の限りが尽くされた」
向さんは2009年に亡くなり、彭さんも2004年に重慶市の雲陽県でこの世を去りました。李亮清一家は土地改革の時に荘園を追われ、息子の一人は銃殺され、別の息子は自殺したといいます。彼らの受けた傷跡と流した血と涙が、今も大井戸建築群の建つ大地に埋まっているのです。
転載新唐人